藤山:土というか、雑草が生えているでしょ?
鈴木:そうそう。「あぁ、何もしないうちに雑草が生えてきたな」って思いながら庭を見ているのだろう。
藤山:「雑草生えし庭をただ見る」。ほとんど枯淡の境地(笑)。
鈴木:こんなことなら、庭なんかやめて最初からコンクリートを打っておけばよかったって、みんな後悔する。
藤山:あんなに庭を眺めたかったのに。
鈴木:年配の人はそれをよく分かっているから、60代くらいで自宅を建て替えるという人は、ほとんどが庭にコンクリートを打ってくれと頼まれる。歳をとると足腰が弱って草むしりも大変だからって。寂しい話だけど……、でもそれが現実。
藤山:光と風の神話にもう一つ、庭もつけ加えておかないといけませんね。
鈴木:でも、それを言い始めたら、家づくりに夢も希望もなくなってしまう(笑)。
藤山:現実的すぎてもダメですか。
鈴木:現実だけを見ればまったくそのとおりだけど、家づくりというのは一方で、「夢と甲斐性の産物」だからね。夢を追いかけているから楽しくやれるという部分が大きい。たとえ近い将来、その夢が破れると分かっていても、夢を追わずにはいられないわけ。
藤山:なるほど。夢と甲斐性の産物ね……。
鈴木:だから設計者としては、現実的な部分をしっかり押さえつつ、夢の部分をどう実現していくかに頭をしぼらなきゃならない。少しでもラクに庭いじりを楽しめるようにするにはどうすればよいか、それを考えてあげないと。
藤山:鈴木さん、いい人だな(笑)。
鈴木:この前できたばかりの家は1坪ちょっとの屋上があるのだけど、ご主人がそこに露天風呂をつくりたいという夢をもたれていた。
藤山:ほう。
鈴木:簡易組み立てのドラム缶風呂みたいなものが、一般にも売られているじゃない?それを屋上に置いて、空を眺めながら風呂に入りたいと。おそらく、露天風呂を楽しめる時間は年に1回あるかないかだと思う。本人もそれをよく分かっている。でも、「どうしてもやりたいです!」と。そこまで決意が固ければ逆に安心だと思って、ガスのコンセントや排水管をひととおりつなげておいた。そのうち飽きるかもしれないけど、新築のときの酔狂な思い出として残ればそれでいいじゃない。そういう「無駄」をあえてやるというのが、もしかしたら家づくりの最高の楽しみ方なのかもしれない。一切の無駄を省いて、使い勝手のよい建物ができれば万々歳……ではないんだな、これが。
藤山:ええ。
鈴木:やらなきゃよかった。でも、やらずにはいられなかったというのが人間の本質なんだから。
藤山:なるほど。いま、分かりましたよ。「暑いのをガマンするのはまだ笑っていられる」とおっしゃった奥様こそ、本当に家づくりを楽しまれたプロなのでしょうね。
(おわり)
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