鈴木:それは、まだ私が30代の頃の話。当時60代のご夫婦から建て替えの相談があったの。
藤山:ご夫婦で住む家ですか?
鈴木:そう。以前は家族4人で住んでいたのだけど、子供が独立して出ていったし、古い建物で地震も心配なので、夫婦だけの住まいに建て替えたいという依頼。
藤山:はい。
鈴木:打ち合わせで話をするのは、ほとんどがご主人。奥さんは「ええ」とか「まあ」とか相槌を打つ程度。わりと反応が薄い方だった。歯切れが悪いというか、ノリが悪いというか……。ただ、どういう提案をしてもダメとは言われないので、これはこれでいいのかなと思いつつ図面を仕上げていった。そして最後に、「この間取りでよろしいですね」って奥さんに確認したら、「それでよろしくお願いします」と。
藤山:了解をいただいた。
鈴木:そう、そのときはそう思っていた。でも、いざ走り始めてみると、ちょこちょこ出てくるわけ。
藤山:何がですか?
鈴木:「ここに壁はないのですか?」とか、「このドアはカギが掛かるのですか?」とか、質問のような要望のようなつぶやきが……。壁というのはキッチンとリビングを隔てる壁のことで、対面式にしていたキッチンの片側に壁は付かないのかと聞かれたの。
藤山:対面式というのは奥様からのご要望ですか?
鈴木:いや、こちらからの提案。それまで対面式がイヤだとは一度も言われていなかったので、ちょっと違和感があった。それに、「壁はないのですか?」と聞かれたときも、それ以上は何も言われないわけ。全体的に曖昧な感じ。
藤山:なんか、モヤモヤしますね。
鈴木:そしたらその後、偶然ご夫婦の娘婿さんと雑談する機会があったのだけど、そこで彼がポロッと漏らしたわけ。「うちのお義母さんは朝から晩までお義父さんと一緒にいて、よく疲れないなと感心しますよ」って。それを聞いて、ハッとしたね。奥さんが壁の有無を気にしているのは、もしかして自分がキッチンにいるときくらい、ご主人の視界から隠れていたい、一人になりたいと思っているからではないかって。
藤山:おぉ。
鈴木:で、ご主人に内緒で奥さんに聞いてみたら、果たしてそのとおりだった。当時はまだ若かったから、その手の機微を感じとれなかったんだけど、その奥さんのように、本当は言いたくても言えない、いちばん言いたい要望を自分からは言えない人って、実は案外いるものなんだよ。
藤山:へぇー。
鈴木:その家は、全部ご主人の号令で動いていた。「母さん、お茶」「母さん、風呂」「母さん、寝るぞ」って。そういう生活を何十年も続けていたから、いい加減うんざりしていたんだね。だから自宅の建て替えは、奥さんにとっては一人になれる場所を確保できる千載一遇のチャンスだった。でも、ご主人と一緒の打ち合わせの場では……それが言えない。
藤山:あとからこっそり言ってもよさそうなのに……。