

藤山:そういう失敗談って、建築業界にいると「よく聞く話」ですが、一般には知らない方のほうが多いでしょうね。
鈴木:圧倒的に知らない人のほうが多いだろうね。
藤山:その手の、一般の人が知らない業界の話っていくつかあると思うのですが、なかでも「建築士だからといって、何でも設計できるわけではない」という話は、その筆頭ではないかと私はにらんでおります。
鈴木:どういうこと?
藤山:たとえば、お医者さんなら内科とか外科とか皮膚科とか専門が分かれていて、病院の名前でもそれが分かるようになっていますよね。
鈴木:そうだね。
藤山:お腹が痛いのに皮膚科に直行する人はまずいません。
鈴木:いないね。
藤山:だけど建築士の場合、有名な建築家の先生に依頼すれば、店舗でも美術館でも普通の住宅でも、用途に関係なく素敵に設計してくれるに違いないと信じている人が少なくない。
鈴木:実際は得手不得手があるにもかかわらず。
藤山:そうです。さらに住宅のなかでも、鈴木さんみたいに収納の設計が得意な人、自然素材を取り入れた家が上手な人、中古住宅のリノベーションが得意な人というように、設計者本人の嗜好や経験によって、もっともっと細分化されていきます。そのあたりの事情を知らずに、大金をドブに捨てるような家づくりをしている人がけっこういるように思うんです。
鈴木:それは本当によくある話。うちの事務所にも、見当違いな会社に設計を依頼して住みづらい家になってしまったという人がよく来るもの。多いのはリフォームの相談で、いま住んでいる家は大手ゼネコン勤務の知り合いの設計者にプラン(基本となる図面)だけ描いてもらいました、それを元に知り合いの工務店に建ててもらいましたというケース。
藤山:いかにもありそうです。
鈴木:普段から住宅の設計もやっている設計者ならべつに構わないよ。でも、いつもは六本木ヒルズみたいなビルばっかりつくっているような人が、いきなり住宅の図面を描いたところで、まともに住める家にするのは至難の業。たいていは、「空間はあるけど住宅ではない」みたいな家になってしまう。
藤山:空間はあるけど住宅ではない――どういう意味ですか?
鈴木:極論すれば、「眺めて過ごす」と「使って暮らす」の違いかな。
藤山:ほう。
鈴木:たとえば美術館なら、眺めたときの形が格好よければそれでよしという部分が大きいじゃない?でも、住宅の場合は大部分が「使って暮らす」だから……。そこが少しでも欠けていると、「この家、格好はいいけれど、洗濯物はどこで干すの?」なんて、奥様方にグイグイ詰め寄られる。
藤山:あぁ、鈴木さんも若いときによく言われたという。
鈴木:そう。「洗濯物どこで干すの?」は、若いとき本当によく言われた。当時は空間ばかり考えていたからね。もちろん、住宅にとって大切な要素は「使って暮らす」だけではないけれど、そこを踏まえていない設計はたいてい悲惨な結末を迎えるものいない設計はたいてい悲惨な結末を迎えるもの